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半端

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横島は、薄く瞼を上げた。
寝起きのぼやけた視界が、意識の覚醒を誘う。



何か笑いながら喋っている子供達
くたびれた風に立っている中年親父
先程までの自分同様に眠っている女性



視線を更に遠くへと延ばすと、
窓の外で風景が右から左へと流れていくのが見える。
窓枠と風景とに挟まれた冬の空は、
まだ正午過ぎとあってか、薄い水色を称えていた。
その中に、雲の白さを見ることは出来なかった。

美神除霊事務所へと向かう途中、
電車による小さな揺れの中、
新たな睡魔を感じつつも、



『次は―――――――――』



耳から飛び込んできたアナウンスが、目を無理やり開かせた。
時間は充分にあるとはいえ、遠回りしたいわけでもない。
再び眠りに落ち無いようにするため
こけないように気をつけながら立ち上がり、ドアの傍に移動する。
軽く振動を伝えてくる壁にもたれかかりながら、
再び、動き続ける景色を見つめた。



赤、緑、白の三色に飾り立てられた店が、
そこら中で、客の到来を待ち構えている。
店先ではサンタの格好をした店員。
机に乗せられている箱はケーキだろう。
電車内までは響いてこないが、
クリスマスソングも高らかに鳴り響いているに違いない。

街は一つの色に染め上げられている。
クリスマスという色に。



その上に控えている空。
やはり雲一つ無く、どこまでも高く澄み渡った蒼――――――――










ポケットに手を突っ込んで、横島は一人、道を歩いていた。
それなりに厚着をしてきたが、剥き出しの顔だけはやはり寒く感じる。
降り注ぐ陽光が、吹き荒ぶ風の冷たさを少しだけ取り払ってくれた。

街中を歩いていると、車内以上にクリスマスの空気を感じられる。
クリスマスソングが辺りに満ちる中、
まだ明るいにも関わらず、飾り付けられたイルミネーションが目に眩しい。
大勢いるサンタ達も、右へ左へ大忙しだ。
出前、売り子、看板持ち。
世知辛い現代社会、サンタといえど
子供に夢を配るだけではやっていけないのだ。

近くを過ぎていく人の群れの中にはカップルも少なくない。
手を繋ぎ、腕を組み、身を擦り寄せ合う彼らの姿は、
一人身が見れば、血涙を流したくなるほどに仲睦まじいものだった。

けれど、横島は表情を歪めることもなく、その中を歩く。
まるで、周りの全てが目に入らないかのように。
いや、周りの全てが風景に過ぎないかのように。
茫とした表情を形作ったままに、視線は前に向けられ、
けれど、その瞳は何も映してはいない。



今日は、美神は仕事を入れていなかった。
それでも横島がやって来たのは、パーティーが行われる為である。
賑やかなのは好きだが、騒がしいのは嫌いという彼女の意向により
事務所の面々による、内輪だけで行う事に決まった。
だからといって、彼女の参加するパーティーの内容が貧相になるわけが無い。
ケーキあり、ご馳走あり、プレゼントあり。
準備だけを見ても、数人規模のパーティーとは思われないだろう。
シロやタマモなどは、初めてのクリスマスとあって
日々カレンダーを見つめながら、この日を心待ちにしていた。

とはいえ、今はまだ昼下がり。
クリスマスパーティーを始める時刻には早い。
随分早くやって来た彼が足を進める先は、
美神除霊事務所――――――――ではなかった。





随分と歩いた後、横島は目的地に到着した。
バイクと徒歩ではやっぱ違うな、と
当たり前の事を、今更ながら溜息混じりに認める。
彼の眼前にはクリスマスツリーの如くに聳え立つ鉄塔。


――――――――東京タワー


冬の太陽はもう傾き始め、
群青の空には朱が混じろうとしていた。










眼下の光景を、何も感じる事無く眺めやる。
横島がいる場所は東京タワー、その展望台の上。
言葉通り、上だ。その中は、カップルや家族連れでひしめき合っている。
直接座り込んでいる彼の周りには、当然、他の人間などいない。

ここに来るのは、三度目だった。
一人でやって来たのは、初めてだった。

文珠を行使してまで、ここへ辿り着いた横島は
何をするでもなく、見つめ続けている。
クリスマスに浮かれている街を。
少しずつ色を変え始めた空を。

軽く上空を見上げ、本当に雲一つ無い事を確認して
組み上げられた鉄骨の一つにもたれかかり
ゆっくりと目を閉じた――――――――





―――――――――周囲は一面の赤



夕焼け空が全てを覆い、
紅い海の中に世界が沈んでゆく。
晩夏の風は暖かく、自分と彼女とを包んでいた。
余りに深過ぎる緋色を感じて
胸に生まれるのは、仄かな寂しさ。

一時だけの美しさは、瞬く間に過ぎ去り、
後には菫色をした空だけが残される。
吹き抜けてゆくのは、寂寥感か。
普段の自分には似合わない感情に、自然と苦笑を浮かべた。

こちらへと微笑みかける彼女
それを受けて、微笑を返す自分

身を静かに寄せて、
思慕を乗せた視線を絡ませ
惹かれあうかのように縮まる、二人の距離。

重ね合わせた唇から伝わる暖かさ。
彼女が此処にいるという証明。
淋しさを感じていた胸が、喜びに満たされた。



もはや叶わぬ夢とは知りながら――――――――





―――――――ゆっくりと目を開けた。
気付かぬうちに、眠り込んでいたのだろう。
視界に飛び込んでくるのは、夕焼け空。

それは、夢と同じように。
けれど、夢とまるで違って。

茜色に浮かび上がる景色。
柔らかく橙の光に染め上げられた世界。
締め付けるような冷たい空気の中で見る景色は
ただただ――――――――優しかった。


この時になって、ようやく横島は実感した。
時は流れ去ってしまったのだ、と。
片膝を立てて、両の腕で抱え込み、強く額を押し付ける。
涙は、流れなかった。










夕焼けの名残が留まる街中を歩く。
自分自身も橙色に染められながら。
翳り始めた空には、やはり雲は見えない。
残念ながら、ホワイトクリスマスは望めそうも無かった。





歩きながら、横島は思う。



中途半端な場所に居る
中途半端な時間の中で
中途半端な自分のままに



それは、それでもいい。

半端ってことは
諦める事がない限り
変れるってことだから

――――――――進めるってことだから





立ち止まって、横島は思う。



情けなかった自分
馬鹿だった自分
弱かった自分

今も、それは変らないけれど
変ろうとすることは出来るのだろう。
そう思えるだけ成長しているのかもしれない。




だから

誓いの意味を込めて
自戒の意味を込めて

昔に紡いだのと同じ言葉を





「絶対に――――――――」





あの時より、小さな声で
あの時より、強い意志で





「――――――――幸せに、なってやる」





冬の風が、声をすぐさま掻き消して
けれど、胸を駆け巡る思いは消える事無く

衝動に突き動かされそうで
なのに体は震えるしかなく

滲んだ視界の中
見上げたそこには、藍色に染まり始めた空。
孤独に輝く一番星を見て、一筋だけ涙を流した。










そして再び、横島忠夫は歩き出した。

仲間達の笑顔を思い浮かべつつ
丁度、それは一番星の輝く方向
瞳を涙ではなく、意志の光で彩りながら



ただ、己の未来へと向かって――――――――