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ただ此処に居る幸せ

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外を吹く風も、少しずつ春めいてまいりました。
道を行き交う人々から漏れる息も、白く染まることはなくなり
コートなどを着込んで厚着をしていると汗すらかく始末。
植えられた桜の木々もまた、花開くその時を待ち望んでいるかのようで。

そのような季節の変わり目の中で
暖かな陽光に包まれながら、私は物思いに耽っております。
落ち葉舞い散る秋は、物思う季節と申しますが、
私にとって、春の方が思索には合うようです。
春という季節が、今の自分の心を表しているように感じるからでしょうか。
あるいは、冬という季節に過去の自分を投影しているのでしょうか。
オーナーも、横島さんも、おキヌさんも
誰も傍には居らず、ただ独りで在り続けた日々を。










渋鯖人工幽霊一号――――――――――それが私の名です。



過去の私の生活は、無変化でした。
私自身に変わる術が無く、知人縁者の類も無く。
ある意味、それは平穏と呼べるのでしょう。
緩慢に消耗し続けている事から目を背ければ。

対して、今の生活は変化に富んでいます。
賑やかで騒がしく、トラブルが絶えません。
静かなる平穏などは、もはや望むべくも無く。
けれど、皆様は笑い、生活を営んでいます。
そして、私はその日々を受け入れています。


『過去』と『現在』
『冬』と『春』


過ぎ去る冬の中で、今という春の日を想います。
単純に平和とは言い難く、平穏というには賑やかな日々。
この広い世界で、此処に生まれたから出会えました。
この永い時の中、今に生まれたから出会えました。
奇跡、と言うのは陳腐に過ぎましょう。
運命、と言うには重みが足りません。
けれど、偶然で片付けたくは無いのは我侭でしょうか。

陽光を浴びながら、心もまた春に似た暖かさに包まれています。
皆様を想う時に感じる、魂を占める柔らかな暖かさ。
これが『幸せ』というものなのでしょう。

この場合、私は幸せ者なのでしょうか?
はたまた、幸せ物なのでしょうか?










けれど、幸せを感じながらも、時に夢想することがあります。
・・・・・・・・・・もしも私が人型ならば、と。

男性であるならば、初老のおじいさんでしょうか。
女性であるならば、恰幅のいいおばさんでしょうか。
昨今のニーズを考えるならば、少女の姿が順当なのかもしれませんが
体が小さいと、生活において色々な不便が生じましょう。
少女が一人きりでいるというのも、何だか寂しげな光景です。
お年寄りでしたら、なんとなく赴きなども感じられたりもするのですが。
それに、違和感も感じますね。私も生まれて随分と経ちますし。

人の姿であるならば、私はどのようなお役に立てるでしょうか。
シロさんやタマモさんを起こす時、声だけではなく『手』で揺り起こせるでしょう。
朝夕の食事時では、おキヌさんのお手伝いも出来るでしょう。
横島さんは・・・・・・・・・何故でしょうね? 
彼の事を叱っている自分を真っ先に想像してしまいました。
同様に、鈴女さんを諌めることも出来るでしょう。
また、書類仕事が苦手なオーナーの代わりに、整理整頓することも可能でしょう。










そして、何よりも

皆様に、有難うと伝えられるでしょう。

きっと、その時には満面に笑顔を浮かべて。










――――――――――けれど、それは夢です。



私は人工幽霊として生まれました。
私は一つの屋敷として生まれました。
そして、この在り方を幸せと感じています。
同時に、この在り方に誇りを持っています。

オーナーの存在を知ったのが、今の生活の始まりでした。
おキヌさんが居なくなった時には、涙を流せぬこの身を嘆きました。
横島さんの後を考えない行動には、いつも心配させられます。
初めて出会ったときと比べ、シロさんは随分大きくなりました。
少しずつ、タマモさんも打ち解けておられるようです。
鈴女さんは、今も元気にお婿さんを探して飛び回っています。

この姿で過ごした思い出は、とても、とても大きくて
だから、人の形を取るという私の願いは
同時に、叶わない事を願ってもいるもので

だから―――――――――――それは、夢なのです。



昨日とは少しだけ違う今日を
今日とは少しだけ違う明日を

少しずつ違う毎日を過ごす皆様を、見守りながら時を重ねる。
それが、私の幸せです。

・・・・・・・・・・ふむ。やはり、老成しているでしょうか?










そうして、今日も私は皆様の見送りと出迎えを致します。

皆様の帰る場所で在る事を、心より誇りに思いながら。

皆様の集まる場所で居る事に、魂より幸せを感じながら。



それでは、皆様








――――――――――行ってらっしゃいませ