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コンな彼女の一番長い日

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部屋の片隅に据えられた、人の身長ほどもある姿見。
その中には、黒い学生服に身を包む少女が映し出されていた。
呆けたように口を小さく開けた少女、氷室キヌの姿が。






恥じらいからくるものか、映る彼女の頬は微かに赤く染められている。
円らな瞳はじっと自分自身を見詰め、視線は何処へも向かわず一所を往復する。
此方を見詰め返してくる鏡像の視線に、立つ場所さえあやふやとなる。
今の自分は鏡の外に居るのか、はたまた内にでも入るのか。
見れば見るほどに虚実の境は崩れ、意識は曖昧の縁へと近付き。
不意に為した瞬きによって得る、夢の醒める感覚。
己が此処にいるという、当たり前の事実を思い出した。
鏡に映る彼女自身は、今もなお立ち尽くしている。



「やっぱり・・・・・・・・」



音と言うにも難しい小さな呟きが、唇を震わせた。
納得の響きを持つそれは、同時に諦観を漂わせて。
普段は見れないその動きが、今この時には客観を以って見得る。
胸を掻き抱くようにして、彼女の腕は自らの体に回されている。
左腕の袖が捲られているのは、腕の長さと合っていない為だろう。
ならば、この服は一体誰のものであるというのか。
少しでも考えれば解るとおり、氷室キヌの持ち物である筈が無いのだ。
どう見ても、それは男子用の学ランであるのだから。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



呟きが虚空に消えた後には、沈黙が満ちる。
続けようとしていた筈の言葉は、形を為す前に喉元で留まり。
高鳴る鼓動を確かめるように、服の隙間から差し入れられた右手。
知らず知らずのうちに力が込められて、内側から服に皺が寄る。

ほぅ、と熱を帯びた溜息は、何処か切なさを感じさせる。
想いは言葉を纏い、ようやく口から零れ落ちた。







「・・・・・・胸無いなぁ、おキヌちゃん」






やれやれだぜ。そんな感じで首を振るおキヌの姿の少女。
しかし、彼女が漏らした声はナインテールを持つキツネ小娘のものだった。










詰まる所は、タマモがおキヌに変化しているというだけの話である。
イタズラと言うほどでもないイタズラ。
着ている学ランも、変化の影響によるもの。
細かい部分については、普段、横島が着ている学生服参考。
こんな彼女の行動に、とりたてて理由など無い。
強いてあげるならば、タマモが使うベッドの上に転がっているBL系文庫とコ○ルト文庫が全て。
そのどちらも、同性間での恋愛がテーマで書かれた代物だった。
なお、実際の所有者が誰であるかは、本人の名誉のために伏せておこう。
具体的には、事務所の女性陣で唯一の艶やかな黒髪を持つ少女のために。



「キヌ薔薇様・・・・・・・」



読み終えたタマモが思わず口にした言葉は、どうか聞かなかったことにして頂きたい。
それはさておくとして、話を元に戻そう。
人間って面白っ、などと某死神のような面でそれらを楽しく読み漁っていたのだが
ある日、タマモの脳裏に天啓が閃いた。あるいは魔が刺したと言おうか。
BLと百合からの連想。すなわち、男装の二文字。
連想したのは、事務所唯一の男性である横島の顔。
応じて、シロ、おキヌ、美神の顔が順に思い浮かぶ。
テレビで見た宝塚を連想しつつ、タマモは考えを進めた。

繰り返すが、理由など無いに等しいのだ。
ただ思いついてしまっただけ。
実行に移せる舞台があっただけ。
そして何より、暇だったというだけの話。
日がな一日、何をするでもなく過ごすのが珍しくないタマモにとって
新しい暇つぶしは至上命題であると言っても過言ではない。

さて、自分が変化してみるとなると誰が一番最適か。
何はさておき、横島は問題外。
男が男の格好したところで、面白みなど皆無。
次にシロを外す。何が悲しくて馬鹿犬の姿になるか。
よって候補として残るのは、おキヌと美神。
どちらの方が、男装が似合うか。
残念ながら考えるまでも無い。

さてさて、次は服装だ。
人目で男装と解るような格好。
Gパン、Gジャンではまだ薄い。
それでは、ボーイッシュと見れば無くも無い。
ならば何か。ならば制服だ、学ランだ。
性別の差異を際立たせるにはもってこいの服装だろう。
最近、タマモが読んだ某エスパー漫画の中にも
学ランを着た若作りのジジィが出てくることだし。



「ふむ。言ってみれば、こすぷれって奴なのかしら。
 ・・・・・・・んふふふ、中々面白そうじゃない。
 やっぱり思いついちゃったなら、やんなきゃ駄目よねー」



脳内で着々と計画を立てながら、にまり、と笑みを浮かべるタマモ。
駄目な方向へと突き進んでいってるようだが、誰も止めないので速度は上がるばかり。
下手をすると、そのうち夏と冬に聖戦と称して出かける彼女の姿が出来上がるかもしれない。
なお、シロはその隣ですぴょすぴょ寝息を立てていた。

以上が、昨夜に起こった出来事である。









明けて翌朝。

美神は仕事で外出。学生のおキヌは当然、登校。
そしてシロも散歩に出かけ、事務所に一人残されたタマモ。
普段であれば、愚痴の一つも漏らしていたのだろうが
今日ばかりは、これ幸いと鏡を引っ張り出して一人ファッションショー。
今更言うまでも無く、その姿は学ラン着たおキヌちゃんに変化している。



「見た感じ、もーちょっと在ると思ったんだけどなぁ。
 まさか、服引っ張っても胸が苦しくないなんて」



服の上から、ぽんぽんと胸を叩く。
確かに、着ているのは横島の服を参考としたもの。
おキヌの体に対して、大きめであることは否めないが
それにしたって、胸の部分が余り捲っている理由としては薄かろう。
本人を前にしては到底口に出せない台詞では在るが
一人きりであるという事実が安心感を生み、タマモにそんな陰口を叩かせた。
しかし同時にその事実は、彼女の獣としての本能を鈍らせたのかもしれない。



カタッ



突然、背後から聞えた小さな音。
弾けるようにして、タマモはその場を飛び退いた。
振り返り見た其処。視線の先で、部屋の扉が開いていた。
自分はちゃんと閉めていただろうか? 思い出せない。
じとりとした汗を背筋に感じながら、おキヌ姿のタマモは呟く。



「・・・・・・・・人工幽霊壱号」

『はい?』

「おキヌちゃん、帰って、きてる?」



その言葉の響きは、懇願にも似ていた。
微かな涙目は哀れさをも漂わせており、震える肩は現実からの逃避を望んでいる。
まだ姿そのものは、おキヌで在る筈なのに、
彼女が見せている端々の仕草は、寒さに震えている子狐を思わせた。
だからこそ、人工幽霊壱号は緊張をほぐす為にも朗らかな口調で返答した。
ただし、内容は一切の虚偽を交えないものだったが。



『ええ、つい数分前に。
 で、先程まで部屋のすぐ外に居られました』

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」



絶望の答えに、タマモは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
その姿は未だに学ランおキヌちゃんであるため、まことシュール極まりない。



「見られたっ!?
 見られたのねっ!!?
 何でこんなに早く帰ってくるの!?」

『いやほら、今日、土曜日ですし』

「ぬかったぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」



ただこの姿を見られただけなら、何とでも言い訳は効くだろう。
苦笑くらいはされるだろうし、恥かしいことは恥かしいが
言ってみれば、ただそれだけだ。シロに見つかるよりは万倍マシ。
しかし、先の発言を聞かれていたならば。
おキヌに対する胸への言及が耳に入っていたならば。
即ち、それは死を意味する。
言い過ぎなどとはいうなかれ。
こと家庭内においては、台所の主こそが最強なのだ。
ようやく変化を解いたタマモは、近くに置いてあった椅子に座り込んで
燃え尽きたボクサーのように真っ白になったのだった。










その日の晩御飯は、タマネギのフルコースでした。



「・・・・・・あのー、おキヌちゃん。
 俺、ヤモリとタマネギだけは苦手で」

「好き嫌いは、めーですよ。
 折角作ったんですから、ちゃんと食べてくださいね」



困ったような顔で、言い辛くも口にする横島の意見を
人差し指を立てたおキヌは、輝かんばかりの笑顔であっさり拒んだ。
仕方ないか、と頭を掻きつつ食べ始める彼の横では
だらだらと冷汗をかきまくっている狐が一匹。



(こ、これはっ!?
 まさか犬科である私をタマネギ中毒にさせようとっ!!?)



なお、シロは気にもせずにしっかりバクバク食っている。
妖怪である彼女らが、中毒を起こす可能性は低いが
万が一、億が一という可能性を考えると、おキヌの怒りを勘ぐってしまって仕方がない。
だがひょっとしたら、横島の好き嫌いを無くそうという意図によるものかもしれず。
その思いが表に出てしまったのか、気付けばタマモはおキヌに視線を向けていた。



「なぁに、タマモちゃん?」



疑問符付きの笑顔を返されて、いや何でも、と返すしかない。
おキヌちゃん、胸が小さいって言われて怒ってたりする? 聞けるか。
箸を取ったタマモは、砂を噛むような思いで食事を始めた。
味は当然のように美味しいだけ、余計始末が悪く。
純粋に食事を楽しめないことが身と心に染みる。
内心、泣きたい気持ちだったが、そうもいかずにタマモはやけ食いを敢行した。
そして、お腹を壊して余計に疑心暗鬼を深めたのだった。










深夜、皆が寝静まった頃。
全ての真実を知る唯一の人物が、誰ともなく呟いた。



『・・・・・・・まぁ、居たとは言いましたけど
 聞いてた、とは言ってないんですよね』



誰も居なくて、一人きりで持て余す時間。
暇つぶしのイタズラをしたがるのは、何もタマモだけではなかったという話。