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雨に濡れた紫陽花のように

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―――――――――彼女は、きっと人間になりたかった










しとしとと。さぁさぁと。



莢かな音を立てながら、くすんだ天上より降り頻る霧雨。
蛙の鳴き声すらも無く、辺りに満ちるのは雨音ばかり。
其処は山奥という程、人里を離れてはおらず
周囲は都会と言う程、道が舗装されておらず
その道端には、雨天に相応しい花が咲いている。
静かな露に濡れながら、蒼の虹を溶け込ませて咲き誇る紫陽花。
寒色を基調とした色彩は、六月という季節に適していた。
しかし目を凝らせば、その中に自然とは程遠いモノが見えよう。
木でもなければ、花でもない。草でもなければ、葉でもない。
そもそも植物ではないばかりか、それは生きていない。
紫陽花に隠れるようにして、朽ちかけた人形が一つ。

この辺りを通り過ぎた清掃車より、零れ落ちたのだろうか。
薄汚れた服は、所々が裂けてまるで襤褸切れの様。
作り物の体は、所々が削られてまるで瀕死の姿。
背中には、誰かの所有物として書かれた名前。
捨てられてしまった今、それは酷く滑稽なだけだった。



きしり



唐突に、酷く小さな音が濡れた空気を震わせた。
雨音ではない。葉の擦れる音とも違う。軋みに似た音。
音の後、先ほどまで地面に対して水平に顔を向けていた人形は
眼球の無い虚ろな視線を、雲に覆われた空へと向けている。
降り止まぬ雨は、何の区別をすることも無く
紫陽花を静かに叩き、人形の顔を断続的に打ちつける。
瞬きさえせず、眼球すら持たざる瞳より、偽りの涙が流れ落ちた。




きしり




再び、音。先程よりも、少し長く。
その音源は、もはや隠しようも無く人形の動き。
降る雨滴に逆らうように、人形の身に抗うように。
酷く緩慢な動作で、ゆっくりとゆっくりと。
その動きは、生れたばかりの赤子のようでもあり
同時に、死にかけた老人のようでもあった。

人の形をした物体に、魂が宿る。
それ自体は、決して珍しい話ではない。
誰も見ていない場所で、誰にも気付かれない時間に
望んだ訳ではなく、望まれた訳でもなく、新しく生れるモノ達が居る。






きしり




この人形は、何時生れたのだろうか。
あるいはずっと前に、生まれていたと言えるのかもしれない。
人形がまだ人の家に居て、誰かと一緒に遊んでいた頃に。
それを自覚出来ていなかったとしても、仕方の無い事だろう。
人間同様、生まれた瞬間のことなど覚えてる筈が無いのだから。
しかし物心ついた頃に、実際の生が始まると言うのであれば
この紫陽花の記憶こそが、人形にとっての始まりであった。

身を起こす。動き出す。
足を動かす。歩き出す。
生を始める。全てを始める。

雨はまだ降り続いている。
立ち上がった人形を、濡らし続けている。
ざんばらの髪を、ズタボロの服を、等しく雨に晒しながら
濡れ切った人形は、身動きもせずに立ち続けている。
馬鹿馬鹿しい言い回しではあるが、あたかも唯の人形のように。
この時、命持たざる『彼女』は此の世に生まれた。
蛞蝓が這い回る、美しくも陰気な雰囲気を醸す紫陽花に囲まれながら。













彼女が最初に行ったのは、居場所を作ることだった。

この世界の何処にも無い、この世界の何処でもない
使われる事を想定してない、闇色をした玩具箱。
その中に、彼女は自分自身を仕舞い込んだ。
他には何も無く、他には誰も居らず、彼女だけ孤独に一人。
世界の真中なのか、それとも端っこなのか。
それすら解らないままに腰を下ろして
その姿勢のままに、じっとしている。
どうやって、この場所に来れたのかは解らない。
気付けば、当たり前のように扉を開けることが出来た。
此処が異界と呼ばれる世界なのは、随分と後になって知った。



夜よりも変化の無い闇の中で、ぼんやりと座り続けて
一体、どれだけの時間が過ぎたろうか。
数時間か、数日か、あるいは数年なのか。
時間の感覚など、経験不足な彼女には解らない。
ある時、彼女は自分の耳へと届く声に気付いた。
何かのきっかけが在った訳ではない。
強いて言うならば、彼女が成長した結果なのだろうか。
そして一度耳にすれば、もう放っておくことも出来ない。
耳を澄ませれば、何処からでも聞えてくるのだから。
人には聞き取れない、彼女と同じ人形の声が。

気付きもしないうちに、捨てられたことへの怨嗟。
持ち主の成長と共に、忘れられたことへの慟哭。
いかにも現代らしい、際限の無い大量生産の悲鳴。

気付いてしまえば、こんなにも世界は悲しみで満ちていた。
闇で隔てられた玩具箱の中にさえ、その声が届いてしまう程に。
固定された笑顔のままに、彼女はその事実を受け入れる。
玩具という意味では所詮、同じ立場だ。
ただ自分の意思で動ける分、彼女はほんの少し運が良かっただけ。
現実逃避をする気は無く、かといって現実肯定をする気も無い。
目覚めた頃よりも、少し小さくなった軋みと共に
立ち上がった彼女は、悲鳴の聞える方へと歩き出した。
仲間を探すために。仲間を救うために。




同情からか、それとも他の何らかの感情だったのか。
声の聞こえてきた場所へと、幾度と無く彼女は赴いた。
その度に、一体、一体、また一体と。
日を負うごとに、彼女の仲間は増えて行く。
そのどれもこれもが、塵として無惨な様子を晒していた。
そんな人形の服装を整えて、髪型を整えて、姿形を整える。
彼女が行うそれらはまるで、文字通りの人形遊び。
人形が遊ぶ。人形で遊ぶ。何と滑稽な話だろう。
そんなことを自覚しながらも、彼女は止めようとはしなかった。

捨てられた人形を拾い続ける。
忘れられた人形を探し続ける。

まるで、雨に濡れるばかりだった過去の自分を救うように。
自分は誰にも拾われなかったという現実から目を反らすように。





気付いてみれば―――――玩具箱は、人形で一杯になっていた。















―――――――――復讐。



その二文字が心にちらつき始めたのは、随分と人形が増えてから。
言葉にしてみれば簡単で、深く想うならば重過ぎて
現実において、実行するには酷く困難な行為。
けれど、どれほどに難しかろうとも関係無い。
彼女にとっては、やるかやらないかの二択ですら無いのだ。
思いついてしまえば、あとは実行するだけ。

人形である彼女は、疲れを知らない。
ただ少しだけ、彼女は日常に飽いていた。
同じ行為の繰り返し以外の行動に惹かれていた。
新しいその行動が、酷く甘美に思えたのだ。
今も悲鳴を挙げ続ける仲間を救うよりも、ずっと。

その考え方は酷く人間じみたものであると
最後まで、彼女が気付く事は無かった。










優先順位が変わったとはいえ、仲間を作らなくなったのではない。
むしろ人間で遊ぶ為の世界のためには、より多くの仲間が必要だった。
だから、更に多くの人形を彼女は求めた。
たとえ、まだ人間と共に居る人形であっても構わずに。
声が聞えるかどうかは、もはや問題ではない。
人形と見れば、彼女は仲間へと引き入れた。
目を離せば、人知れず人形が消えて行く。
彼女の手で、届かぬ場所へ仕舞われて行く。
最初は捜し求められた人形も、何時しか忘れ去られ
最後には、他の人形と同じ立場となる。

玩具箱を一杯にするほど増えた仲間達。
一つの世界を満たすほど増えた彼女達。

もう、彼女は一人ではない。
闇の中で、彼女の仲間が無数に居る。
全員が違う服装でありながら、その顔は全て同じ形。
瞬かず、輝かず、閉じる事の無い瞳。
動かず、揺らめかず、固定された微笑。
頭身も同じで、ポーズも同じ人形が立ち並ぶ。
人が見れば、それは悪夢そのものの光景だったろう。
人形しかない世界にも、そろそろ飽き始めていた。
もういいだろうか、と彼女は自問する。
雨に濡れていた紫陽花を思い出しながら。
脳裏で、優しい雨の音を蘇らせながら。
この玩具箱の外に在る、自分の生れた世界を想う。

その時だった。
全てを終わらせる声が、闇を裂くように響いたのは。
懐旧を感じさせる声が、闇に咲くように響いたのは。



「あまたの世界へ通じる扉よ!
 道を開き、我らを迎え入れよ!!」










そして、彼女の企みは潰える。

世界を覆そうとした企みは、此処に終わる。

それは何処までも何処までも、人を模した人形らしく。










力の大半を失った彼女は、転がったままに考える。
結果から見れば、欲張り過ぎたのが敗因なのだろう。
新入りの人形が、もっと大事にされていなかったなら
新入りの人形が、持ち主を大事に思わなかったのなら
あるいは、また別の結末が待っていたかもしれない。
けれど、現実はその人形に邪魔をされてしまい
魂レベルで力を吸い取られた彼女は、もう動く事も難しい。
今の思考すら、仲間に分けていた魂の寄せ集め。
それもまた残り滓に過ぎず、思うだけで削られて行く。

彼女が生れた場所に咲いていた紫陽花を想う。
陰を帯びながらも、美しい花は傍の何処にも無く
その代わりに、辺りを占めるのは空ろな人形の骸。
もはや動かす事も叶わない瞳で空を見る
雲の無いこの場所に、あの日のような雨は降らない。
周りに凝るは、不変無音の残酷な闇ばかり。
次第に近付く終わりを見据え、自分自身の始まりを考える。



何故、自分は人間で遊ぼうとしたのだろう。
何故、自分は人形を集めたのだろう。
何故、自分は歩き出したのだろう。






ああ、何だ―――――――――それだけだったんだ






答えを自覚して、溜息に似た感情を得る。
彼女の行動の根底に根ざした理由。
それは、簡単なことだった。
考えてみれば、簡単なことだった。
考えもしなかったから、思いつかなかっただけで。

誰かと遊んだ事のある子供なら
友達と過ごした時間を持つ大人でも
きっと一度は心に浮かべたことのある、願望の形。








もう一度、れーこちゃんと遊びたかった








始まりは、ささやかな願い事。
それだけだったのに。
それで良かった筈なのに。

涙は流れない。涙は流せない。
時は戻らない。時は戻せない。
雨が降らないこの場所では、形ばかりの滴すら零せなかった。
光の射さないこの場所では、在るはずの今さえ想えなかった。

玩具箱には罅が入り、彼女の体は軋みを上げ
彼女が壊れると共に、玩具箱は内側から瓦解する。
誰も気付かない。誰にも知られない。
人形が無くなるなんて、有り触れたことでしかないから。
箱から飛び出せなかった玩具の話は終わる。


そうして彼女は生を終えた。
そうして彼女は死を迎えた。


誰にも知られず枯れて行く、野に咲いた花のように。












しとしとと。さぁさぁと。



清かな音を立てながら、掠れた天頂より降り頻る霧雨。
蝉の鳴き声はもう近く、辺りは夏の暑さを纏い始めて。
其処は山奥という程、人里を離れてはおらず
周囲は都会と言う程、道が舗装されておらず
その道端には雨空に適した花が、紫陽花が咲いている。
今はまだ雨が降っているけれど、もうすぐ紫陽花の季節は終わる。
梅雨も去って、白く輝く雲間から晴れた空の覗く日がやって来るだろう。
夏を前にした紫陽花は、今という時を留めるように咲き誇っている。
そんな花に隠れるようにして、バラバラの人形が一つ。

頭を上にして、地面に捨てられている壊れた人形。
降り続ける雨に濡れて、瞳から垂れた滴は涙にも見えた。
濡れそぼる人形は、動き出そうとしない。
当たり前だ。
人形は、人形なのだから。

唐突に、酷く小さな音が空気を震わせる。
雨に紛れて響いたそれは、本当に幽かな音で
結局、誰の耳に届きもせず、雨音の中に消えていった。










バイバイ

ありがとう

ごめんなさい