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彼女に歌う子守唄

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今は昔

もはや伝え聞く者さえ僅かなる

遠き世に過ぎ去りし、姫君の話

それは、拙くも優しく紡がれる子守唄の伝承











今を遡り300年ほど昔、元禄の時分。
江戸より離れたある藩に、一人の姫君が生まれました。
その姫は、生まれながらに余り器量良しでは御座いませんでした。
いや、より正確を記するならば不器量とさえ言えましょう。
骨格がっしり、体格は不要なまでに良く、更に筋肉質。
齢十にも満たぬうちに、そんじょそこらの男よりも男らしい姫君。
けれども、姫君は家族に愛されておりました。
そして姫君はそれ以上に家族を、領民を愛しておりました。
故に屈折する事もなく、外見とは相反して心優しく育ったのであります。

その日、姫君はぼんやりと空を見て過ごしておりました。
城を一人抜け出して、ぽかぽかと太陽に照らされながら野原の中で。
先程までは花を見ていたのですが、其処に自らを連想してしまいました。
華のような女性にとの願いを込め、付けられた名前。
全く以って、名は体を表すなどは幻想に過ぎぬ。
腕を曲げればあっさりと力瘤の出来るこの身の、何処が華と呼べよう。
そうして自嘲の笑みを、姫君は――――――女華姫は浮べます。
誰かを恨むわけではありません。けれど、姫君も年頃の少女。
己が器量を思うと、深い溜息を禁じ得ません。
周りの皆は優しいけれど。いいえ、優しいからこそなおの事。
見上げた空は蒼く広がり、微かに罹る雲は白絹の如く。
晴れ渡ったその様を見ていると、心に芽生えた鬱屈も薄れていくようで。
自然、姫君の浮べる笑みからは自嘲の形が消えて行きました。

だからこそ、と申しましょうか。
その身に受けた衝撃は余りにも不意打ちでした。
背後から突然に加えられた、体当たりにも似た一撃。
うおっ、という女性らしくない悲鳴と共に転倒する姫君。
視界に入るは目を反らしていた華々。丸くした瞳がそれらを映し出します。
脳裏を占めるのは痛みよりは困惑。我が身に一体何が起きたのか。
倒れたままの姫の耳に、届きましたのは慌てた感じの少女の声。



「ご、ごめんなさい! 私ったらドジで!!!!
 あの、お怪我はありませんか!?」



野原に一人きりで佇む姫君を見つけた少女が、声を掛けようとした所
丁度いい位置で足を滑らせて、両の手で突き飛ばす形となった。
言葉にすれば、ただそれだけのことで御座います。
未だ立ち上がりもせず、目を白黒させた姫君は
涙目で謝罪する少女をまじまじと見詰めておりました。
わらわの形相を目にして何故に怯えもせず驚きもしていないのか、と不思議に感じながら。










この日を境に、姫君はよく城を抜け出すようになりました。
けれど、昔のように沈んだ表情ではありません。
おキヌと名乗ったあの少女と、友達と遊ぶためなのですから。
野原で姫君を待つ彼女に向けて、大きく手を振るご様子は少々やんちゃで御座いましょうか。

おキヌを介して、姫君にも友達が増えて行きました。
初めは怖がられるものの、直接に相対すれば優しさが伝わるのでしょう。
今までは遠巻きに姫君を見ていた者とも、すぐに仲良くなって行きます。
澄み渡る蒼天の下、草花の萌ゆる野原に集まり戯れながら
姫君も、おキヌも、他の皆も、子供らしい無邪気な微笑みを浮べております。

時に季節の花を摘んでは、友達の為に花輪を作り
時に皆で草笛を吹いては、下手な演奏に笑い合い
時に夕焼け空を眺めては、別れの時を惜しみつつ

暖かな太陽の下、花々に囲まれながら友情は育まれて行きます。
そんな日々は、永遠に続くような優しさに満ちておりました。










時は過ぎて行きます

優しい風と共に

季節は次第に巡ります

春が来るのならば、冬の季節もまた










何時からか、次第次第に土地が荒れ始めました。
大地を揺るがす地震には、心もまた震えさせられます。
近くで噴火が起きる毎に、恐怖の念が沸き起こります。
災害の一つ一つは小規模であろうとも
こうまで度重なれば、民の心も穏やかではいられません。
それら全ての元凶が、一つの妖に在ると思えば尚更で御座いましょう。
その妖怪の名は死津喪比女。残酷にして恐ろしき地霊に御座います。

思い悩んだ藩主は高名な道士を招き、その退治を依頼致します。
依頼を引き受けた道士は、地霊を封ずる為の装置を創り上げました。
けれど、作動させるためにはある代償を必要としたのです。
それは、人身御供―――――――――巫女一人の命で御座いました。



巫女として適しているのは、今年で15となる未婚の娘。
そして、姫君もまたその中に含まれておりました。
けれども、藩主も人の親。己が娘を生贄に捧げたくなど御座いません。
村娘ならば良いのか、と言われれば反論も出来ませぬが
それでもなお、と考えるのは親としての業というものでありましょう。
しかし、親が子を想う気持ちと同様に、姫君もまた領民を愛しておりました。
平等な条件の元にて、選別をされるならばまだしも
己のみが特別扱いされるなどは、誰でもなく自分自身が許せよう筈もありません。
想う気持ちの深さ故に、親子の諍いは続きます。
当たりの籤を姫君が引いてしまった事から、更に争いは激しさを増して行きます。
その言い争いを止めましたのは、突如と響きました一声。



「お、おそれながら――――――――――」



震えそうな様子を押し止め、紡ぎ出された少女の声。
その声は、姫君には酷く聞き覚えのあるものでした。
そう、姫君は気付いていたのかもしれません。



「―――――――――私が、志願致します」




こうして、おキヌが名乗りを上げるだろう事を。
親友として、誰よりも彼女の優しさを知るが故に。













その夜、姫君は親友と最後の会話を交わしました。



姫君は人身御供の役を代わるつもりで御座いました。
いえ、本来生贄となるべき者へと戻るとでも申しましょうか。
元々、当たり籤を引いたのは姫君自身なのですから。
あるいは、勝手な事をした彼女に怒りすら覚えていたのかもしれません。

けれど、おキヌは優しくそれを断りました。
孤児であったおキヌは、両親の顔も朧げで
他には身よりもなく、家族と呼べる者などおりません。
だからこそ、家族を大切にしたいという思いは人一倍に抱いておりました。
肉親を失う哀しみを知るからこそ、それを誰にも味わわせたくなどないのです。

親友の我侭に、姫君は言葉を失いました。
親に離別の哀しみを与えたくないのは姫君も同じ。
しかし、そのためには親友が生贄とならねばなりません。
そして、それを彼女は既に受け入れているのです。
死を覚悟した少女を前に、何と言葉を掛けられましょう。
己が無力に憤りすら感じ、情けなくも嘆く事しか出来ず。
涙にくれる姫君の肩を抱き、おキヌは唄を紡ぎます。
自分をこの世に生んでくれた両親を想いつつ。
満天の星空に見守られながら。










儀式の日は天候に恵まれました。

結界を張り、洞窟の周囲には護衛を配して
更に、くノ一部隊を密かに守りに付けるという念の入れよう。
そして、その中には姫君も同行しておりました。
何も出来ぬ身であれば、せめて最期を見届けんが為。
一夜を通して、渋る親を説き伏せたので御座います。
それを知る由もなく、地脈の堰を前にするは道士とおキヌ。
眼前に控えた泉は、死の持つ冷たさと静けさを称えているようで。
死を目前にして、おキヌは微かに怯えを見せるものの
道士は心を鬼として、説明を加えようと致しました。



其処に現われたるは、禍々しき華一輪。



狡猾にも結界を張るより前に、隠れ潜んでおりました華。
文字通り、護衛の体を撒き散らしながら浮べるは嘲笑。
おぞましき殺気を放ちながら、道士達に近付こうとしました。
それを阻むはくノ一達。邪なる華を焼き滅ぼさんと、一斉に火炎玉を放ちます。
しかし、華の一輪といえど、世を騒がせし地霊の一部。
そう簡単には倒されたりせずに、殺意と共に返される一撃。
刃の如き鋭さを持つ葉の一閃は、囮にならんと顔を露にした姫君へと。

迫る死に対して、姫君の身は一瞬硬直致しました。
しかし、更なる驚愕にその瞳は見開かれます。
視界に入るは、一息に泉へと飛び込む親友の姿。
声を限りに、喉も裂けよと叫ばれるは親友の名。
けれど、それに言葉が返される事はありません。
もう、二度と。











水の跳ねる残響だけを後に残し、体は止まる事無く水底へと沈みます。
暗がりを増す視界、薄らいで行く意識、身を包む死の感覚。
おキヌは何処までも深く、深くへと落ちて行きました。
ただ一つの願いを、声無き声で叫びながら。




私の命を、どうか、どうか皆のために―――――――――――――




光無き場で、微かに耳に届くは己が名を呼ぶ親友の声。
苦しみに歪んでいた表情は、その瞬間にほんの少しだけ緩められ
それを最後に、彼女の意識は闇へと落ちたのです。












一人の少女の命が失われたとても、世の年月は変わる事無く流れます



儀式の日を境に、災害の悉くは鎮まり

万一に備え、地脈堰の傍には神社が建立され

如何なる縁によるものか、道士と姫君とが結ばれ



そして、幾度目かの春が訪れました











春の陽射に包まれた、ある日のこと。

我が子を伴って、姫君は久方ぶりに野原へとやって参りました。
野に広がり種々に彩られた花々は、季節を祝福しているかのようで。
変わらぬ辺りの様子に頬を緩ませつつ、子と共に過ごす優しい時間。
昔のように花輪を作り、昔のように草笛を吹き。
そして、静かに見上げた空には、あの日と同じく白絹の如き雲が流れ。
変わる事の無い空の蒼さに目を細めていると、不意に袖を引かれる感触が。
驚きと共に目を向けると、其処には心配げな我が子の顔。
ゆっくりと伸ばされた小さな手は、姫君の頬を流れる雫を優しく拭い去りました。



その場に屈んだ姫君は、そっと小さな体を抱き締めました

そして、変わらぬ青空を見上げながら紡ぐのです

胸の中に抱く我が子へと、絹と名付けた娘へと捧ぐ子守唄を










今は昔

子守唄を歌う姫君が居た

かつて親友が歌ってくれた子守唄を

それはお世辞にも上手いとは言い難い

涙混じりの、拙き唄





春空に唄が流れて行く

心の奥にてただ願う

遠い、遠い日々の後に

幾百年の時を経た後に

受け継がれた歌が

変わらぬこの想いが

彼女の元へと届けばと