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この家には、一つの巣が御座います。
屋根裏部屋の窓、その外側にツバメのような巣が一つ。
けれど、それは決してツバメのものでは御座いません。
ちゃんと目を凝らせば見えましょう。
SUZUMEと書かれた板らしきものが。
そう、それはスズメの巣で御座います。



主は巣に居られぬようで、巣は寂しく其処にあるばかり。
燦燦と降り注ぐ、暖かな太陽の光に包まれながら
丁度、屋根の影に隠れた場所で、巣は主の帰りを待ち続けます。

そうして一日が過ぎました。





次の日の天候は曇りでした。
次第次第に辺りは暗がりへと変じ、ぽつぽつと空は泣き始めます。
サァサァと降り頻る雨の中、巣の主は一体どちらで雨宿りをしているものでしょうか。

その日にも、主は帰ってきませんでした。





一週間が過ぎました。
暑い日や寒い日、天気のいい日悪い日。
空は幾つもの顔色を見せ、けれど時の流れる早さは何時も等しく。
その間もずっと、巣は其処に在りました。

主は、まだ帰ってきておりません。










一月が経ちました。

街に吹く風は少しずつ涼しさを帯び始め
日の落ちるのが早くなって参ります。
巣は何も変わらず、屋根裏部屋の窓の外に御座います





夏がゆるりと暮れて行き、秋が深くへと染みて、冬が町を覆います。
一年とは言わぬまでも、随分と長い年月が流れました。
今も、巣は変わらずあるのでしょうか。

いいえ、巣は随分と草臥れた形で其処に在りました。
不変のものなど、此の世にある筈も御座いません。
放っておけば、雨風に晒された巣は次第に朽ちることでしょう。





ある日、バンダナを付けた青年が梯子片手に屋敷から出て参りました。
外壁に立て掛けて、よじよじと昇って巣に近付きます。
邪魔な巣を叩き落そうとでもいうのでしょうか。
いいえ、青年は巣を壊す代わりに、珠をその中へと優しく放り込みました。
『繕』という文字が書かれた珠を一つ。
小さな光が消えた後、巣は元通りの姿を取り戻しておりました
青年は上ったのと同様、よじよじと下りていきます。
不思議なことに、誰も押さえていない筈の梯子はびくとも動いていませんでした。


『ありがとうございます』


青年以外、誰も居ない筈の場所に声が響きます。
青年は口を動かす代わりに、軽く手を上げて屋敷へと帰りました。





今も、巣は変わることなく其処に在ります。
主が戻っていないことも含めて。
そして、町に春が訪れました。








空を仰げば晴天に恵まれ、公演にでも行けば咲き誇る桜が目に入ります。
そんな日でも何時も通り、巣は主を待ち続けます。

けれど、何時もとは違って。
巣へと向けて、こそこそと飛んでくる小さな姿がありました。
電信柱や近くの家屋。気付かれないようにとの思いゆえか、身をこっそりと隠しながら。
無論のこと、バレバレです。動きが拙いことにくわえ、ちょっとずつ近づいてきているのですから。
それを自覚したのか、はたまた開き直っただけなのか。
終いには、彼女は堂々と飛んで参りました。

随分と長いお暇ではありましたが、巣は何も申しません。
巣は其処にただ在るだけです。
ずっと主の帰りを待ち続けるのが巣の役目。
在るということ自体が一つの価値なのです。
でも一つだけ、たったの一言だけ。

巣に帰ったスズメと、ずっと待ってた巣とのやり取り。
必要なのはたった一つ、当たり前の挨拶が一つ。



『お帰りなさい』

「うん、ただいま」








この家には、一つの巣が御座います。
外見はツバメの巣のような、いたずらスズメの巣が一つ。
長らく主が不在の巣。 今も、主は巣におりません。
しかし、耳を澄ませば屋敷の中から賑やかな叫び声が




「きゃー、ダーリンがいっぱいー!」

「ちょっと、何この妖精!? だー触るなーーーっ!」

『・・・・・・・・どうやら、今度の不在は短くて住むようですね』





呆れた様に、けれど安堵したように。
誰とも無く、巣は小さく呟きました。