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何時かはそれさえも思い出に

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視線の届く先は、深くすら在る青色の空。
視界を埋めているのは、風に舞い踊る桜色の春。
彼女が浮かべたその表情は、まるで迷子の子供のようで。









四季のうち、春は出会いの季節とよく言われる。
冬の寒さが少しずつ去り、風が暖かさを帯びるのに伴って様々な命が息衝き始める。
それは眠り続けていた世界が、目を覚ますかに似ているからでもあろう。
しかし同時に、春は別れの季節であるとも言われている。
これは一見矛盾しているようだが、その実、正鵠を射ている言葉だった。
年度の終わりに位置する春は、一つの節目でもある。
この季節において、数多くの学校は門出の日を迎える。
先に控えた始まりのために、今へと続いた過去に終わりを告げるのだ。
そして世に多くのGSを輩出する、六道女学院もまた例外ではなく。



生徒が集められた体育館の中、卒業の式は滞りなく進められている。
座っている中には、涙を浮かべている生徒も居た。ハンカチを目に当てる生徒も居た。
卒業生代表として壇上に上る生徒、弓かおりはそれでも毅然とした態度を崩さない。
そんな彼女の姿を、理事長である六道夫人は微笑みを以って祝福した。
続いて祝辞が伝えられる。スローテンポな話し振りは、毎度生徒の眠気を誘ったものだった。
それさえも今日が最後。もう聞く事は無い。少なくとも一介の生徒としては。
そして、式が終わる。袴に身を包んだ生徒達が一人、また一人と立ち始める。



六道の生徒達はこの日、学校を卒業した。









そして今。
少女が一人、空を見上げている。
はらはらと舞い降りる、桜の花びらに身を委ねながら。
何処ともなく視線を向ける彼女、氷室キヌは珍しく髪を一纏めにしていた。
活発を示すであろうその髪型は、むしろ彼女の清楚さを際立たせている。
その身を包んでいる袴装束を踏まえて、彼女の姿を今一度見てみると
まるで大正の御世に、時を隔てて彼女一人が立ち尽くすかのようであった。
ただ桜だけが、時の流れに逆らうように彼女の傍で踊っている。
けして不快ではない、けれど虚脱感にも似た感覚が彼女の胸を占めていた。
何かを終えた時、何かを成した時、この気持ちを感じるものなのだろうか。
今日この日、一つの終わりを迎えたというのならば、これから何が始まるのだろう。
氷室キヌには解らない。まだ、解らなかった。
心だけが、まだ此処に届いていない。



「や、おキヌちゃん。
 そんなとこで何してんの?」



そんな折、背後から掛けられた声があった。
聞き慣れたその声は大正の時より彼女を今へと引き戻す。
首を回して見た其処には見知った、けれど見慣れない姿が在った。



「・・・・・・なんで鳩が豆鉄砲喰らったよーな顔をするかな。
 さっきも一緒に居たんだし、はじめて見た訳じゃないだろ?」

「何度見たところで慣れやしませんわよ。
 だいたい貴女が髪を下ろした姿なんて、今日が初見ですわ」



声の主は憮然とした表情を浮かべた、一文字魔理。
続けてと若干毒を含む発言をしたのは、弓かおり。
二人とも、キヌと同じ服装に身を包んでいる。
更に、髪型が普段と異なっている事まで同様だった。



「しっかし、ようやく、っつーか。
 逆にもう、っていうべきか。
 何かな、まだ全然実感湧かないもんだな」

「そんなにすぐ変わるものではないですわ。
 ま、卒業できただけ奇蹟な貴女からすれば
 実感なんて何時になっても無理かもしれませんけど」



なんだと。なんですの。
額を突き合わせて、睨み合う二人の姿。
本気で喧嘩を始めようと言うのではない、じゃれあいのようなもの。
よく見た光景だった。そんな光景に寂しさを感じる必要なんて無い。
一足早く、少しだけ懐かしさを覚えてしまったとしても。



「そうですね」



小さく紡がれたその声に、言い争いを始めようとしていた二人の視線が集まる。
友人の驚いたような表情に、ようやくキヌは笑みを浮かべた。
それはまだ、何処か儚げでは在ったものの。



「これで・・・・・・・」



微笑をそのままに、再度視線を空へと向ける。










「横島さんと美神さんが生きててさえくれれば―――――――」







呟いた彼女は上げた瞳を遠くへと、果ての無い空へと向けた。
何を見ようと言うのだろうか。何かが見えると言うのだろうか。
その悔やむような表情は、泣き出す寸前の子供にも見えた。



「おキヌちゃん・・・・・・・」



魔理は口を開けて、けれど続けられずに口を閉じた。
何を言えばいいのか、解りはしなかったから。
後を継ぐようにした弓かおりもまた、何を言うべきか解らなかったのは同じ。



「氷室さん―――――」



だが、言わなければ成らないと思ったのだ。
だから、言葉を紡ぎ上げる。正しいか否かではなく。
伝えるべきだと思ったから。










「その言い方では、お姉さまとあの男性が死んだみたいですわよ?」




そう言った時。
堪忍やー、と遠くから馬鹿の声が響いた。
三人は仲良く、とりあえず聞かなかったことにする。
この良き日、耳を日曜にしたところで罰など当たる筈も無い。
何も多くは語るまい。語るだけのこともない。
卒業式という晴れの舞台、袴姿の集団に我を忘れた馬鹿が居た。ただそれだけの話。
そんな馬鹿は、現在を以ってなお折檻中。
叫べるだけの元気はまだまだ残っているようだ。





氷室キヌはまだ空を見上げている。

暖かな陽を浴びながらも、セピア色をした光景の一部となって。

そんな彼女の周りを慰めるように吹くのは、桜化粧を施された春の風。