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花の夢

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―――――――其の花は、実に愚かな夢を見た。

決して叶う筈も無い、永遠を賭した夢。
心より信ずるも馬鹿馬鹿しき、永劫を抱く夢。
だが、それでも其の花は夢を見た。
死にたくない、と。生きていたい、と。
生きとし生くる誰もが願う当たり前の夢。
けれど当然で在るのと同じ位に愚かな、夢を見たのだ―――――――――















今を遡る事、幾百年。

街道には風が吹いていた。
血の香を帯びた、重苦しい微風が。
周囲を見やれば、折り重なるは死体の群れ。
老若男女と差別もなく、皆一様に血を撒き散らし事切れていた。
如何なる所以にて、このような惨たらしき情景と成り果てたか、想像に難くは無い。
時は戦国。生きる為に、武を以って為さねば成らぬ時代。
そのような世に在って、寿命以外の死は必定とも言えた。



其処に、一輪の花が芽吹いている。



いや、まだ花とは成らぬ一つの新芽。
死の凝る場に於いて生まれた、名も知れぬ小さき命。
言わずもがな、此花は近いうちに朽ちるが運命。
周囲に満ちる怨嗟。遺された慟哭。型無き悲嘆。
一介の花が生き延びるには、余りにも暗く重過ぎる。
闇の道に身を墜としたとて、直ぐには己を変えられまい。



その花をじぃ、と見詰める瞳が一対。



瞳の持ち主は、見目麗しい女である。
鋭い視線を放つ、切れ長の目は蛇にも似て
匂い立たんばかりの妖艶さは、まるで人ではないかの様。
その女は、死体に怯えるでもなく、血臭に顔を顰めるでもなく
ただ血に塗れた大地の中で、唯一奇麗な花を見詰めていた。
そっと屈み込んだ女の指先が花へと触れる。
女の其れは、全ては気紛れによる行いだった。
地脈の操作を大陸にて覚え、使う機会として丁度良いと思っただけの事。
動かしたと言えど、それは妖怪と成るにも足りぬ、ほんの僅かな程度。
女は気になったのだ。
この芽は如何なる花を咲かせるのか、と。
故に、地脈より力が少しだけ流れ易くしただけの話。
運が悪ければ、此の侭に枯れようが
運が良ければ、花の一つも咲かせよう。
そして更に運が向いたなら、いずれの世で再会の機も在ろうか。
去り際に、女は一度だけ振り返って告げた。



「ま、こんなゴミ共の中で咲く花など、たかがしれてるだろうがね。
 私が手を掛けてやったんだ。精精、マシな形で咲かせなよ」



言い残し、女は空へと飛び去った。
其れは、まさしく人に在らざる動きであった。
女の残した言葉は、花にとって声ではなく音でしかない。
葉や茎の軋み、風の唸り、地の響き。其れ等と等しく無意味な物。
よって、意味を解したのはずっと後になってからの事だった。











花は生き延びる為に、まず地中へと隠れ潜んだ。
幸い、糧に困る事は無い。
地上では、昨日今日と変わらず命が絶たれて行く。
なるほど、地脈より流れる力は女の言い残した通りに微弱。
しかし、花には他に栄養を取る術が在る。
降り注がれる血液、腐り果てる肉、砕かれ撒かれる骨。
地上にて、死を迎えし全てが花にとっての糧であった。
血を啜った。肉を呑んだ。骨を喰らった。

全ては生きる為。
美しい花を咲かせる為に。

花は潜み続け、力を蓄え続けた。
根は肥え太り、日に日に嵩を増して行く。
生きる為の力を、生き残る為の力を、生き延びる為の力を。
―――――生きたいという願いを喰らい尽くしながら。





そうするうちに、幾年かの時が過ぎ去って
花は自らの一部を、『華』として伸ばす事にした。
地上の情景を知る為に。より多くの糧を得る為に。
華は人に似た形をしていたが、人より小さく造形も甘い。
当然である。花は人の姿を死せし後でしか知らぬのだから。
喰らう事しかしてこなかった花は、争いを厭い、諍いを嫌う。
生きたいという欲は、裏返せば死にたくないのと同義。
殺し殺される。喰らい喰われる。襲い襲われる。
そんな世である事は、糧とし続けてきた命から伝わっていた。
故に人の前に立つ事は、花にとって恐怖そのもの。
そう、花は臆病であったのだ。




そして花は、一介の姫と出会う。




己が所在に気付かれた時、華は逃げようとした。
けれど小国の姫は物怖じせずに、華へと話し掛けてきた。
驚きはすれど恐れはせずに、華へと笑い掛けてくる姫。
其れは花が見る初めての顔、人が浮べられる表情の一つ。
鈴のような声も添えられた笑顔は、あたかも春風のようで
長らく風など感じておらぬ花にも、温かさを伝えてくれた。








一日目は、緊張と驚愕とで終った。

城内に生えた華に気付き、喜び勇んで話し掛けてくる姫君。
驚いた花は、すぐさま地中へと転進を図るが
その際、姫からの一方的な言葉を受ける。
この日、花は会うという約束を得た。



二日目は、安堵と平穏を知った。

同じ場所へと華を伸ばすと、姫は優しく微笑みながら其処に居た。
笑顔をそのままに語り掛けてくる言葉は、どれも花にとっては初めての物。
まだ口も眼も鼻も持たざる華は、答えを返せないばかりか、表情さえ浮べられない。
故に頷きやで震えしか返せなかったけれど、姫は満足そうであった。
賊母と名付けられた時、自分に名が在る事に違和感を抱き
首を捻った華を見て、姫は少しばかり大きな声で笑い声を挙げた。
この日、花は聞くという価値を得た。



三日目は、喜びと楽しみに気付いた。

三度同じ場所に伸ばされた華は、姫を驚かせる事に成功する。
顔を得ていた顔を見て。その顔付きは、姫が成長した風に見える。
姫は次第に頬を緩ませて、まるで姉妹のよう、と喜んだ。
その姫に応ずるように、華の顔も笑みを作る。
そして、昨日のように聞くばかりでなく、色んな事を話し合った。
地中の出来事などたかが知れているが、それでも華は花の知る限りを口にした。
けれど、自らが喰らう者については、決して言葉にしなかった。出来る筈も無い。
この日、花は話すという意味を得た。



そして、四日目は――――――――――――








華を通して花が見たのは、戦火に撒かれる城の姿。
何時もの場所に、姫は居なかった。
すぐさま身を翻し、己が感覚の全てを賭して花は探す。
探し、探して、探し続け、果たして――――――――姫は、居た。
そう離れた場所ではない。外に出て座り込んだまま。
屈み込むような形で、血の布団に伏せる姫。
わざわざ外で死した理由を、花は推し量る事しか出来なかった。
姫は花に成りたかったのか? 花に生まれ変りたかったのか?
・・・・・・・ならば、その願いはある意味叶おう。
花はこの四日間も喰らう事を止めてはいなかった。
だから、今こうして啜り続ける命は姫の物でも在ろうよ。
花と成りたかったのならば、共に生きよう。永遠を賭して。

茫洋とした意識で姫を眺めるうちに、華を囲むようにして人が集まっていた。
城内に突如として現れた妖に向けてくる敵意と殺気。
しかし、もはや花に恐怖は無い。餌如きに恐怖などするものか。
嗚呼こんな物が恐かったのか、と花は呆れた。
下らぬ、是ならば、姫を見つけた時の方が遥かに恐ろしく在った。
何物か、と掛けられた問いには隠し切れぬ震えが混じっている。
華は笑った。血のような笑みを浮べ



「何物と聞くか? 
 ならば答えてくれよう――――――――わらわは姫、賊母姫ぞ!!!」



瞬時、辺りは気色ばむ。皮肉とでも取ったのだろう。
華の傍で、本当の姫が死しているのだから。
真実笑わせてくれる。
姫を助けられなんだのは誰だ?
姫の元へと攻め込んだのは誰だ?
姫を死にまで追い込んだのは、誰だ?
化け物、との叫びを聞き、華の笑みは更に深まった。



「化け物? 何を当たり前な事を。
 草が化けると書いて花よ。
 しかれどこの身、女性にあらざる化生也。
 似姿故に女と比ぶれど、決して姫に成れぬが道理。
 なれば――――――――比女とでもするが良いわ!!!」



叫ぶと同時、地中から生え盛る無数の華々。
悲鳴と怒号が重なり合い、死の匂いに満ちて行く。
そして、城内に地獄が訪れる。





四日目は、優しさと悲しみを捨てた。

この日、花は殺すという快楽を得た。













更に過ごす事、幾年か。

時を重ね、花は更に力を身に付けた。
とうに花は人を恐れていない。
逆に、人が花を恐れていた。
怯え混じりで伝わるうちに、花の名は賊母から死津喪へと形を変えて。
地霊と成りし今や、花に怖れるものなど在りはしない。
華は増え、葉を増やし、そこい等の妖怪にももはや劣らぬ。
だが、まだ足りぬ。まだ足りぬのだ。
これでは永遠を、永劫を生きられぬ。
もっと長く、もっと永くを生きる為―――――――だが




何故、生きていたいと思ったのか




揺らいだ記憶の先、微かに見えた想いの始まりは
けれどすぐに血と肉と骨とに阻まれ、意識から追いやられる。
後に残るは、身を埋め尽くす飢餓感のみ。
巫女を殺す。そうすれば、まだまだ生きられる。
死ぬものか、死ぬものか、しぬもノか、シヌモノカ・・・・・・・・・

花が喰らった者、全てが死の縁にて浮べた願い。
いまや、其れを花自身が浮べていた。
花の思いであるのか、あるいは喰らった者の呪いであるのか。
そんな事は、もはや花でさえも解りはしない。










それより、300余年の時が経ち









封印される直前と、同じ想いに花は囚われていた。
罅割れながら、より深い絶望を共にして。
だが、それでも花は足掻く。
諦められる願いであれば、最初から抱きはしない。



『嫌じゃ! わらわは、わらわはまだ花を――――――――』



咲かせて居らぬ。
絶叫は声にならず、けれど花に全てを思い出させ
だが、其処で全ては終わり。止まらぬ時の流れの中で、花の願いは叶わない。
山の如くに肥えた根も、直ぐに土塊へと化して行く。
華も全てが枯れ果てて、葉も全てが朽ち尽くし
空に煌くは、土煙に朝日を映す残照ばかり。

花の見た愚かな夢は、こうして咲けないままに消え失せる。
血の通わぬ花の身故に、涙さえをも遺さずに。










―――――――かつて、一輪の花が在った



街道沿いに、小さく生えた新芽の姿。

光を浴びて、成長を続けた末に

果たして、如何なる花を咲かす筈であったのか

もはや、神ですら知る由もない