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吾輩はチョコである

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吾輩はチョコである。

名前はまだ無い。



何処で生まれたかと問われれば、鍋の中としか答える他は在るまい。
記憶の始まりは、棒を差し込まれぐるぐるとかき回される吾輩自身。
ねっとりとした糸を引きながら、湯気を立たすほどに熱を帯びた火照る身体。
褐色の吾が美肌は、見るもの全てに生唾を飲み込ませるに違いない。
先程より吾輩をかき回す、サングラスに三方髭のミニマム親父が製作者であろう。
何やら、やって来た客人二名と話をしているようであるが
寝起きといった感覚であった為か、その会話の内容までは聞き取れぬ。
創られたばかりの吾輩は、まだ意識すら定かではない。
そんな吾輩が初めて聞き取れたのは、熱意に差される水そのものな言葉であった。



「―――――売れる訳無いでしょ。
 誰がそんなチョコ食べるのよ」

「あ」



――――――――――――ワッツ?

いや待て。ちょっと待ちたまえ。ウェイトだ、我が製作者よ。
幾らなんでも、作る前に捨てるというのは如何なものか。
それに、まだ売れぬと決まった訳でもなかろう。
キモ可愛いという言葉も在る訳でぬおおおお怒りの表情と共に鍋を傾けてはいかん!
食べ物を粗末にしちゃいけませんと教わらなかったかね!?
嗚呼、声を出せない流動の身体が哀しい。
でも涙は出ない。チョコですもの。



『あ、待って―――――――――!』



まだ上手く身体を動かせぬ吾輩が、世を儚みかけた所で
天の助けと言おうか、製作者の暴挙を押し止める少女の声が掛けられた。
後で知った事だが、救いの主である彼女は幽霊と呼ばれる存在である。
幽霊とは、死の後も世に残らんとする恐き物と相場が決まっている。
しかし、この時の生まれたばかりである吾輩が彼女を恐ろしいと思う筈も無く
むしろ心は感謝の念で一杯であった。ボコボコと煮え立つほどに。
どうにか恩返しができぬものか考えを巡らせど
その間にも、周囲は吾輩の想いとは無関係に進んで行く。



「んーなもん関係無いアル。捨てるね!」

『そんな・・・・・・・!』



くそぅ、この製作者改め似非中国スモールバージョンめ。
チョコに生命が宿ったと知りつつ、既に彼奴は吾輩を捨てる事に決めていた。
自分が創ったものに対して愛は無いのか。無いのだろう。
艶やかな黒髪を持つ少女幽霊は、唇に指を当てて何やら考え込んでいる様子。
それとは対照的に、横に居る赤毛オールバックは冷めた表情である。
心の中で少女に向けてレッツ応援。届け、この想い!



『あの・・・・・・・もし良かったら、このチョコ頂けませんか?』



そして、吾輩は鍋の中心で感謝を叫んだ。ありがとう、少女よ!
無論、心の中だけでだ。吾輩が声を出せる訳も無い。
継続的に掛けられる熱のせいで、まったりと溶けている身であるし。
先の恩とも重ねて、このお礼は身を以って返そう。文字通り。



「はぁ、こんなもんどーする気なのよ」



そして貴様は呪われるがいい、この年増めが。















少女の手によって、鍋ごと年経た屋敷へ運ばれた吾輩は
その一室にある机に、布巾を敷いた上で置かれていた。
室温は快適に保たれているようだが、吾輩にはちと暑い。
暇を持て余し、ぐるぐると鍋内にて回転している吾輩の横では
守銭奴チックなボディコンと巫女少女人魂付きとが、会話に花を咲かせている。



『だって・・・・・・何だか可哀相じゃないですか』

「そんな気にする事無いのに。
 生命ったって、本当に生きてるワケじゃないのよ」



我想うゆえに我有り!
事実を否定してはいけない。
本物か偽物か、どちらであろうと命は命。
擬似物として生まれたのだとしても其れは其れ。
吾輩はチョコとしての己が命を全うするだけである。
何時の日か体重で悲鳴を挙げよ、と赤毛年増に呪いをかけながら
己が為すべき事柄に、吾輩は思いを馳せた。
チョコの身体を思えば、最終目的は食べられる事であろう。
食えっ、食えっ、食え、と何処ぞのキョ○ちゃんも歌っている。
そして、食べられる相手として最も相応しいのは
当然、吾輩を助けてくれた幽霊少女の想い人以外には無い。
しかし、想う相手は秘すもの。彼女のような女性ならば、なおの事であろう。
さて、許される時間も限りがある。聞ける機会は果たして訪れるであろうか。



『明日、横島さんにチョコあげようと思ったんですけど』

「別に横島君だからあげるのはいいんだけど
 食べて欲しかったら、どんなチョコかは黙っている事ね」



インプット完了。ターゲット名、横島。
いや早速機会が訪れたのは都合がいいのだけれども、それでいいのか少女。
大人しげな外見に似合わず、意外と積極的なのかもしれぬ。これが現代の波か。
どう渡したものかと、少女は考えを巡らせているようだが
しかし、その努力は次の瞬間にあっさりと無へと帰した。
やはり神は悪戯がお好きなようである。あるいは、神など居ない。



「・・・・・・・・もー知ってます。
 なんぼなんでも、んな不気味なモン食えるか!」



何時の間にやらやって来ていた、バンダナ少年。名は恐らく横島。
目を半眼にして、口にしたのは解り易い拒否の一言。
何故だ。チョコは生きていてはいけないとでも言うのか。
いやまぁ、確かにその通りのような気もしないでも無いが吾輩権限にて無視する。



『横島さんに食べて欲しいのに~~~』

「厄珍が余計な事した時点で
 もはやこれは食いもんじゃないのっ!!!!!」



ええぃ出会え出会えぃ、勿体無いお化けよ! 
此処に貴様の敵が存在しまくっておるぞ!!!
・・・・・・・ふぅ。一人遊びというのも空しいものだ。
しかし渡す前に断るとは、どういう了見だろうか。
ただでさえ貰える可能性が少なそうなオーラを振り撒いているというのに
そんな事でいいのかバンダナ少年よ。飢えた獣の本能は何処にやったのだ。

馬鹿な思考に浸っているうちに、食べないという結論に至ったようだ。
これではいかぬ、と聞き耳を立て続けていた吾輩は心密かに焦る。
焦燥が身に現れたか、ぼこぼこと何時もより多めに泡立っております。
皆はそんな吾輩に気づく事も無く、朗らかに談笑していた。うむ、寂しい。
よかろう、Gパンバンダナよ。今は笑っているがいい。
吾輩も動けるようになるにはまだ時間が掛かる。決行は日が落ちてからだ。
甘い夜を過ごさせてくれるわ。











夜の帳が落ちた部屋。
無音に満ちた空間は、まさに静謐という語が相応しい。
その中に、静けさとはまるで無縁な存在が一つ。
ブレイクダンスのように、ぐるぐると回転している鍋が在った。
無論、吾輩である。正確に言うならば、吾輩が入った鍋。

ぬぅん!
どりゃぁっ!!
ふんぬぁぁぁぁぁっ!!! ガシャンどろり

よーし、動く事に成功。何事もやれば出来るものだ。
すると、突然に虚空から悲鳴じみた叫び声が吾輩を震わせた。



『どわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!
 私の床にチョコの染みがぁぁぁぁぁぁっ!!!』



それは初めて耳にする声であった。略して初耳。
この屋敷に生息するポルタ―ガイストであろうか? 
合いすまぬが、関わっている暇が今の吾輩には無い。
後ろ髪を引かれつつも、どろどろずぶずぶと移動する。



『あ、あれ? 跡が付いてない・・・・・?』



当たり前であろう。
一旦、カーペットに染み込んだチョコとて吾輩の一部。
動いているのは吾輩だからして、染みとして残るわけがあるまい。



『ほー、よかったよかった・・・・・・・ん?』



動くのも初めてである吾輩は、ただ外に出たというだけで達成感に包まれる。
大いなる障害を簡単に潜り抜けられたような気がするのは、当然ながら気のせいであろう。
あの家が実は生きていて、しかも霊や妖怪を通さぬ結界を有し
その上で、驚きのあまり結界を一旦キャンセルしてしまったなど
吾輩の冒険心が創り上げた幻に過ぎぬ。いやはや想像力とは恐ろしいものだ。
何やら後ろの方角より別の形の悲鳴が聞えたが、やはりそれも気のせいである。
ごめんなさい横島さーん、という悲鳴などあるものか。
そのような空耳など意識の隅っこに追いやって
いざ行かん、捕食者の元へと!










ズブズブ



アスファルトの上をまったりと進行している吾輩。
他の視点からでは、茶色スライムに見えるのだろうか。
益体も無い思いにかられつつも、吾輩は止まる事無く進んで行く。ズブズブと。




ズブズブズブ



粘着性のある身ゆえの哀しさ故、結構な割合でゴミや埃がくっ付いてきた。
しかし、食物としてのプライドが其れをそのままにするのを許さぬ。
一部分を硬化させたり、軟化させたりを繰り返し
取り込んでしまった物を外へと排出して行く。
同時に、出来るだけ付着しないように気を付けつつ。
吾輩は摂取する為に居るのではない。摂取される為に生きているのだ。




ズブズブズブズブズブ




そうしてズブズブズブズブと数十秒間休み無く動き続けて
吾輩ついに十メートルの踏破を達成したのである。って遅いわっ!!!!!
ええい、これでは朝が訪れるまでに到着さえも出来ぬ。
どうしたものか、と身を捻らせながら考え始めたのだが
上手い考えが浮ぶより先に、更なる試練が訪れた。



「わんっ!」



確かに吾輩は世界に一つだけの花もといチョコ。正にオンリーわん。
閑話休題(訳;んなこたぁどーでもいい
其処に居るのは、人間よりもずっと小柄な体格の四足獣。
即ち舌を出した小犬が、鳴き声を以って己が存在を示している。
首輪をしていないところを見ると、恐らく野良なのであろう。



「わんわんっ!!」



いや貴殿が一匹であることは見れば解るので、そう主張しなくて宜しい。
ところで、何故にそうぎらついた瞳で吾輩を見詰めているのかね?
・・・・・・・落ち着きたまえ。ビークールだ、犬よ。
腹が減っているのかもしれないが、吾輩は貴殿に食べられるわけにはいかぬのだ。
何より、チョコは犬にとって毒に等しいのであるぞ。
声を出せぬ吾輩は、目と目で通じ合おうとする。
想う心さえあれば、きっと言葉が無くても解り合える筈!



「わぉーーーーん!!!」



無理でした。そもそも目が無いしな、吾輩。
飛び掛ってきた小犬を何とか避けて、道の端に集合する。
どうする吾輩。どうするアイフル、いや犬違いだ馬鹿者。
吾輩に闘う力などは皆無。食べ物が戦闘力を持ってたまるか。
ならば、はったりだ。はったりをかますしかない。
流動性のあるこの身体は、変化するのには最適である。
犬に勝てるような生き物に擬態するとして、さて何に変わろうか。
考えるまでも無く決まっている、人間だ。
再び襲ってこようとした犬に覆い被さるようにして
吾輩は垂直に立ち上がった。正しくは、人間の形をとった。
その姿は、言わばチョコマン。
決して肉まん餡まんの仲間ではないのであしからず。

元々、勇敢な種でもなかったのだろう。
吾輩の見せた突然の変形に肝を潰したか
きゃいんきゃいん、と鳴き声を挙げながら小犬は逃げて行く。
すまぬ、犬よ。吾輩がチョコではなくアンパンであれば
ボクの顔をお食べよ、と一部を差し出す事も出来たのだが。
しかし、これぞ災い転じて福と為す。
人型となった吾輩は、その姿のままで歩く事により
先程までの何倍もの速度で移動する事が可能となっていた。
すっかり忘れていたが、元々、吾輩はゴーレムとして創られたのだ。
それは、人間の姿にも成れるというもの。むしろ成れねばおかしい。
今の吾輩であれば、歩くばかりか疾走さえも可能である。
人目を避けつつ、夜闇に向けて吾輩は走り始める。
こうして走っていると、メロスの気持ちが解るようだ。
落日ではなく、日の出がタイムリミットである点が逆だが。
吾輩は疲れを知らず、筋肉を持たぬ身体の為に
文字通りの限界にまで加速する事さえ出来る。
そう、今の吾輩はチョコ色のスプリンター。
目にも止まらず駆け抜けて、後には甘い香りが鼻腔を擽るばかり。
そうして、吾輩は風のように光のように、夜の町を走り続けた。









・・・・・・・・・・ところで、目的地である家は何処であろうか?













多大な時間を掛けて捜し求めた後、吾輩は部屋の前に立っていた。
部屋の主の名は横島忠夫。先程確認したため間違いない筈である。
明かりが付いている為、まだ就寝前なのであろう。
夜中という時間を考えると、扉には当然鍵がかかっているだろうが
流動と成れる吾輩には全く問題など無い。下の隙間から入ればいいだけの話だ。
そう、侵入までは問題無い。重要なのはその後なのだから。
嫌がる相手に対して、どうやって吾輩を食べさせるか。
さほどの時間もかけず、我が茶色の脳細胞は結論をはじき出した。



無理やり



うむ、解り易く手堅さに溢れる解答だ。
嫌よ嫌よも好きのうちという格言も在る。
消極的なまま、受身なままでいては愛など得られぬ。
何時だって積極的に、常に攻めの姿勢を崩さずに。
押して押して押し捲る。それでようやく活路が開けるのである。
やり過ぎれば犯罪であるが、吾輩はチョコなのでオッケィ。
そして中に入ろうとする寸前、吾輩は最後の覚悟を決めた。
必ずや彼の者に食われん、と。

では―――――――――突貫!



「・・・・・・・・な、何だ!!?」



振り向いた彼は、突然の来訪者に驚愕の表情を浮べた。
その一瞬の隙を見逃さず、吾輩は彼を前方から拘束する。
肩から顎に掛けてチョコの腕で固め、おもむろに彼の中へと侵入した。
ぬぅ、口内は鍋とまた違った熱さがあるものよ。



「やめんかーーーーーーーっ!!!」



そう叫んで彼が暴れると、いとも容易くはたき倒される吾輩。
あくまで動けるだけであって、大きな力が在るわけではないのだ。
チョコで出来ているだけに脆いし、筋肉が無い分、非力であるとも言える。




「お前、昼間のチョコか!?
 まさか、俺に食え、と・・・・・・・・・・」



吾輩は頷きを返す。なんだ解っているではないか。
では早速、と飛びついた吾輩から逃げるバンダナ少年。
勢い余った吾輩は、家具にノンストップの体当たりをかました。
その衝撃で頭の部分が外れたが、すぐに持ち上げ付け直す。
バラバラになった所で無意味。この身は痛みさえ感じないのだから。
再度、少年に向けて突撃。狙うは顔面、口元辺り。
そんな吾輩に齎されたのは、熱い拳の一撃であった。
アッパーカット気味に喰らった衝撃で、またまた頭部が吹っ飛ぶ。
だが、だからどうしたとばかりに我が身体は少年へと覆い被さろうとした。
実際、頭部など無くても大した問題ではないのだ。バランスが悪いだけで。
その動きに少年は瞬間怯んだものの、前蹴りを我が腹にぶち込み事無きを得る。
吾輩を倒せぬ少年と、少年を捕らえられぬ吾輩。
これは一見、千日手であるように見えるがさにあらず。
時間を掛ければ掛けるほど、吾輩に有利となるのだ。
吾輩は疲れを知らぬ。諦めなどはなおさらの事。
今や少年に残された道は二者択一
自発的に食べるか、無理やりに食わされるか。
さぁ、いっそ観念して吾輩を食すがいい!!!
しかし、腰の退けた少年はあっさりと身を翻し



「ひぃぃぃぃ、付き合ってられるかーーーーーーーーっ!!!!」



・・・・・・・・しまった。
開け放たれたドアを眺めて、吾輩は後悔の念に沈んだ。
つい、食べさせる事ばかりに気がいってしまい
逃走を許してしまったのは、実に痛恨のミスである。
カンカン、と階段を走り下りる音が此処まで響いてきた。
追いかけるべきか? いや、もう間に合うまい。
部屋で待ち伏せるか否か、浮べたその逡巡が致命的だった。
溜息を吐こうとして、そもそも呼吸が出来ない事実に空しさを感じる。










部屋に残っているのは吾輩一人。
いずれ少年は部屋へと戻ってくるだろう。
こうして部屋で待ち伏せるのは下策と言わぬまでも、しかし決して良策ではない。
なにせ明日になれば、吾輩はただのチョコに戻る。
日が変わってすぐ、などというわけでもあるまいが
何時まで保つのか、当の自分でさえも解らないのだ。
だからといって、追いかけた所で見つけられる保証も無い。
万一、見つかったとしても、大人しく食べさせられてはくれないだろう。
為すべき事の見えぬ現状は八方塞がりと言えた。



『・・・・・・・・・・・・・・』



人間の真似をして独り言を吐こうとしても
上手く空気を震わせることさえも出来ぬ。
だから、無言のままで吾輩は自問した。
―――――――――もう、いいだろうか?
そもそも、吾輩全てを少年が食べるのは不可能なのだ。
彼の意思がどうかではなく、単純に物理的な問題で。
それに先程、一部分だけならば食べられたのも事実。
目的は果したと言えないことも無い。
座して、終わりの時を待っていても良いのではないか。
其れもまた一つの在り方ではあろう。
そんな諦観じみた思想に囚われ始めていた時
おキヌちゃんと呼ばれていた少女の声が脳裏で蘇った。



『横島さんに食べて欲しい』



其れはひたむきな少女の想い。同時に、吾輩自身の願望でもある。
確かに一部は食べて貰った。だが大部分の吾輩は此処にこうして残っている。
たとえ全てを食べさせることが出来なくとも
出来る限りの努力はするべきではないだろうか。
何故なら、吾輩はまだ生きているのだから。
決意を胸に立ち上がった吾輩は、部屋の物色を始めた。
少年が帰って来た時に備えて、予め準備をしておく必要が在る。
彼が学生であるならば、美術を授業として受けているならば、部屋にアレが在る筈だ。
無ければ無いで、外に探しに行こうとも考えていたが
ほどなくして、吾輩は探していた物を見付けた。
見つけた其れを、絵の具セット一式を握り締め
胸に湧き上がった決意を、新たな覚悟へと転化する。
これは賭けだ。それもほとんどが運任せ、偶然頼りの。
まず、絵の具の量を考えると頭部ぐらいしか誤魔化せまい。
身体は毛布を巻くなどして、チョコの色が見えぬようにせねば。
更に言えば、少女の想いを若干裏切る事になってしまう。
吾輩が外見を真似られる程度に知っている存在は、製作者、少女、少年、年増の四人。
少年の姿を真似ても意味が無い。製作者の姿になっても叩き出されるだけだろう。
ならば、少女の姿で迫れば、という線も駄目。
何故ならば、少女は幽霊だからだ。
人魂を持たず、質感も在る幽霊少女を前にしては
少年とても、その違和感に気付く可能性が余りに高過ぎる。
故に、選択肢は一つ。赤毛年増しか残されてはいないのだ。
胸の奥に苦いものを感じるが、他の方法が思いつかぬ。
此処には居らぬ少女へと向けて、吾輩は届かぬであろう謝罪をした。
己が身体を変化させ、絵の具片手に鏡を覗き込みながら。
むぅ、唇の色は赤とピンクのどちらが好みであろうか?














その賭けの次第を、正確に記する事は控えよう。

ただ、吾輩は賭けに勝った。其れだけが事実である。

勝因は、少年がやりたい盛りの年頃であった事という所だな。















そうして、吾輩はただのチョコに戻った。
もはや自らの意思で動く事も出来ず
不動のままに、自らの意識が消えるのを待ち続けている。



『結局、この形で固まっちゃいましたねー。
 どうします? 食べないともったいないですよ』

「・・・・・・どーしろっていうのよ。
 食べるのも捨てるのも置いとくのもやだわ」



苦りきった表情の赤毛女が、霊少女に愚痴っている。
此処は、昨日吾輩が運び込まれた部屋。
その片隅に、朱色オールバックと全く同じ外見の
チョコで出来た像が突っ立っている。無論、吾輩だ。
そして、部屋にいるのはもう一人。吾輩に背を向けている少年。
たぱたぱ、と口から洗面器へ向けて色んなモノを吐いている。
先程五リットル飲んだとか言っていたが、その大半は戻してそうな様子だった。
・・・・・・・・そんなに飲ませただろうか?
食べさせる事に躍起になっていた為、量までは考慮していなかった。
ある程度気が済んだのか、ぐったりと俯いた彼の元へと幽霊少女が近付く。
その手には小さな箱。肩を寄せ、小声で尋ねる様は控え目に。



『あのぉ、横島さん?
 その分だと、もうチョコなんか要りません、よね?』



恐らく、箱の中身はチョコ。吾輩とは別に用意していたのだろう。
昨日あれだけ嫌がっていたのだから、当たり前と言えば当たり前か。
バンダナ少年は無言。胡乱な目付きは末期症状の患者にも似ている。
赤毛女性の顔さえ、味を思い出すせいで直視出来ない今の彼にとって
チョコの三文字は拷問に等しい意味を持つだろう。
だが、彼は少女に向けて手を伸ばした。催促するように手の平を上に向けて。
少女は驚いた顔をして、其れを気遣う表情へと変え何やら呟いた。
残念ながら、その声は吾輩には届かない。もはや音が聞えなくなったからである。
しかし、それでも構わない。言葉の意味など、吾輩にとっては瑣末ごと。
二言三言と言葉を重ねるにつれて、二人の顔に微笑みが咲く。
そうして、少女のチョコに乗せた想いを少年が受け取った。
それで充分。それさえ解れば充分なのだ。
ほんのりと、ジェラシーを感じはするが。





さて吾輩の物語は、これにて幕を閉じる。

少女、おキヌ。
少年、横島忠夫。
ついでに年増、美神令子
更についでの製作者、厄珍。

吾輩に、彼等のような名は無い。
消え行く吾輩が名を持つ事は無いであろう。
そんな名を持たぬ生ではあったものの、吾輩は吾輩として生きた。
生きていることの甘さや苦さを、少しでも感じられた
そして、生を終えようとする今、僅かばかりの満足感を得られている。
チョコらしいと言えば、まさしくチョコらしい命ではないか。
最後に、何やら騒ぎ始めた彼等の方へと意識を向けてみると
いらぬ事でも口走ったのであろう、少年が年増に殴り飛ばされていた。
計算でもしたのか、あるいは運命なのか。丁度、吾輩が立つ方へと向けて。
この勢いならバラバラに砕けるだろうな、と冷静に結論付ける。
処分に困っていたのだから、あるいは都合がいいのかもしれない。





接触の衝撃に、この身が砕け散ろうとした瞬間

誰にも解らぬ程、吾輩は小さな微笑みを浮べられた気がした。

生は楽しかった、と心より感じられたから。

最後の最後、誰にも聞かれぬ言葉を心に遺す。











――――――――――名前は、要らない



吾輩は、チョコである